卵巣癌闘病記<4>告知〜決断
家で一週間ほど、過ごし再入院することに
何度、何時間、考えても・・・
私の「手術はしたくない」という気持ちは
揺るがず、かなり担当医を困らせだと思います
先生が説得にくる時間に
ベッドから抜け出して逃げたり
(ほんま、あかんヤツ、今反省|д꒪ͧ)… )
とりあえず、抗がん剤の治療が始め、その間に手術のことは
話し合おうと提案され、それには納得し・・・・・
それから、何度も何度も、
担当医との話合いをしました。
当然、医者としては、
今ある私の命を守るのが最善なわけで
その方法として手術は不可欠
私は、すごく赤ちゃんを産む事にこだわってました。
結婚して、子供を作るのが、夢で
子供も大好きでした。
その夢がもう100%叶えられなくなるなんて、
絶対に嫌・・・・。
その選択を自分でするなんて
26歳の私には、重かった・・・・
そんな失望した中で、
生きていく勇気もなかった・・・・・
今考えると、異常に『赤ちゃんを産む』ってことに
執着し、自分の思い描いてた理想の人生から外れるのが怖かったんです
子供は本当に好きだったけど
私は、完全に自分自身の為に赤ちゃんが産みたい
女として生まれたなら、赤ちゃんが産みたいって・・・・
思っていたような気がします
その時の私は、そんな事ばかり考えてました。
ハッキリ言って、自分が「癌である」現実なんて
見てなかったです(汗
癌<赤ちゃんを産めない この恐怖のほうが大きかったんです。
先生との話し合いで出した結論は
3クールの抗がん剤の投与を済ませて
開腹手術を受ける。
そして、手術中(開腹したまま)
残ってる卵巣の細胞をいろんな角度で採取して
「細胞診」にかけてみる
そこで一箇所でも「癌細胞」が出たら
そのまま子宮と卵巣は摘出する。
もし、「癌細胞」が出なければそのままお腹は閉じる
(子宮も卵巣も摘出しない)
先生の見解では99%癌細胞がでると言われました。
そりゃ、親指ぐらいの卵巣が握りこぶしぐらいに
なってたんだもんね(笑
そして、リスクも説明されました。
「万が一、その細胞診断で癌細胞が見つからなかったとしても
細胞採取した所以外の卵巣に
癌細胞が残ってると開腹手術をし
お腹の中をつつくと、癌細胞がちらばる危険性もある」と・・・・
手術前に投与した抗がん剤は
とっても辛かったです。
もちろん、髪の毛や体毛は抜け落ち、
(鼻毛、まつげ、眉毛も抜けます)
副作用で吐き気もひどく
体中の関節がミシミシと痛く
手や足もずっとしびれ
箸も持てない、歩くのも(正座をしてしびれて歩けない状態)痛い
舌も味覚がおかしくなって何食べてもおいしくない
食欲もない
体重は37キロまでおちました。
でも私の中では、この3クールの抗がん剤に賭けてました
これで残ってる卵巣の癌も全部消してみせる!!!
私の体重から計算して
許される量ギリギリのマックス量で抗がん剤も投与してもらいました。
そっりゃー副作用もキツいっつうの(笑
ドMかっ!
でも、薬のせいで、体中が痛く、自分も辛いと
「こんだけ、私も辛いんだから、癌もかなりやられてるで」と
自分がしんどいと、それが逆に嬉しいとゆうか
癌もしんどいはず!!!的な考えで
「ほら~~癌め~~~~全滅だろぉ~~」と
副作用にも打ち勝つ力がっ!!!
と治療には、すごく前向きでした、
と、偉そうに書いてるけど
実際はとゆうと・・・・
「少しでもいいから、なんか食べんといけんよ」と心配して言ってくれる母に
「うるさい!!!このしんどさ、やった人じゃないと分からんのに言わんとってよー」と
自分のしんどさに、ついつい母に当り散らしたり
そうゆう自分が本当に情けなくて泣いた日もありました。
でも辛い日々ばかりじゃなかったです。
この3クール(3ヵ月)間
同世代の看護士さんとたくさん仲良くなりました。
夜中に眠れなくて不安な夜もナースセンターで
いろんな話を聞いてもらったり
アフォな話もしたり・・・・
休みの前の日のナースちゃんにネイルアートをしてあげたり
ファッション雑誌をみながら、あ~だこ~だ言ったり
私なんて、ハゲてるから、ファッションとかゆう前に
ヅラよ!ヅラ!!(笑)
年配の看護士さんも、すごく可愛がってくれて
ふと押し寄せる「死」への不安で眠れない時には
よく抱きしめてくれました。
同室で入院してたオバチャン達ともすごく仲良くなりました。
ちょっと体調がいい時や、食欲がある時には
近くのイタリアンや中華へランチに誘ったり♪
みんな同じ「癌」で入院してるので、全員ハゲです(笑
スカーフを頭に巻いた、集団が(笑
めちゃ怪しい!!!!
月に何回かランチ会をして
オバチャン達にも好評で、
「もゆぅちゃん、今度はどこへ連れてってくれるん?いつにする?」
と辛い入院生活の中でも、楽しみをつくるのが私は好きでした。
お昼ごはんの時間になると
私のいる一室だけ、誰もいなくなり
看護士さんや、給仕のオバチャン達にも
「今日はどこへ行くの??」と言われるようになったり(笑
宅配のピザを取って食べたり
やりたい放題してました(笑
↑今はこんな奴ダメですよ?
そして3ヵ月経って、手術が近づいてきました。
私はお腹をあけてみるまで自分がどうなるか分からず
不安で不安で・・・・
「こんなに不安じゃ、やっとられんわ~」って事で
またまたオバチャン達を誘って、なんとカラオケへ(笑
大暴走
先生にも「思う存分、楽しんできなさい」と許可をもらい
行ってきました。
この時期には、もう先生とはなんでも話せる悪友ぐらいになってました。
こんな患者は、今までいないって言われるぐらい
言い合いしたことも・・・・(笑)
自分の体の治療には貪欲にいろいろ知識をつけ
なんでも気になることは、先生に質問し
納得がいくまで、話を聞き
まさにインフォームドコンセント(笑
この頃は、ネットがそんなに普及してなく
情報が本当に少なかったです
あとは、手術に望むだけ・・・・
卵巣の癌が全て消えてくれて
子宮と卵巣を残したまま、手術室から帰還してやる!!!
と先生に宣言しました(なんと、無謀な・・・・若かったあの頃)